ブログのうまい書き方、読まれるブログとは何か、みたいなことを考えていると
大抵は田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」という本に出会う。
この本を推薦するつもりも批判するつもりも無い、買ってないから。
ただ、この本の題名どおりこの本の主張が「読みたいことを書けばいいんだ」と言うものなら、これは難しいことだなあと思ったのだ。
過去にも記事にしています。
買ってないんだけれど、去年は批判してますね。。。
読みたいことと、書きたいこととの間には何があるのか
まず、書きたいことで読みたいこと、読みたいことで書きたいこと、これが田中さんの本の主張だ。まあそうでしょう。
じゃあ、書きたいことで読みたくないことってなんだろう。
例えば誰かの悪口とかかね?書き殴ってやりたいよね、あいつのこととかあの野郎のこととか。しょうもないやつはごまんといるからね。
でも、そんなこと書いても誰も読みたくない。気分が悪くなるだけでしょ。
だから、書きたいけど読みたくないってことはあまり書かない方がいいよね。
それでもさ、気持ちのやりどころがない人は大いに書くべきだとも思うわけ。
だってこのブログっていう場所は自由なんだから。自由なんですよ。
読みたくないけど書きたい、っていうのはどういうことかね?
ブログで稼ぐために別に興味はないけどアフィリエイトの商品を宣伝するために書くっていうことかね?
書きたいっていう初期衝動は大切にしたい、金儲けたいって言う欲望で動けるのは羨ましい。
自分はあまりそっちの方向は向いてない。
書きたくないことで読みたいこと、読みたいけど書きたくないことってあるのかね?
書きたくないってのが、自分の力量が書けるレベルじゃないから書きたくないっていうことなのか、自分の倫理観に反するから書きたくないのか、書きたくないっていうことばの中には、いろいろ背景があるのだと思う。その背景を自分で探ってみる、どうしてかけない?
自分に力があれば書きたいんだけれど…と思っているなら、今すぐに書き始めるべきだ。書かないとレベルが上がらないから。
レベルっていうのは知識量でもいいし、文章力でもいいのだ。
そして後から振り返ってみて、初期の自分の勇気を称えればいい、あのとき始めたから今の自分があったんだと。
そしてブログにはリライトといういい装置がある。どんどんリライトしてレベルが上がったことを確認できるんだ。
読みたい、から書き始めてもいいし、書きたい、から書き始めてもいい。ブログは自由なんだ。