若い人と話をするとみんな大体こういう感じ
休みの日何してるんですか?って聞くと
猫の動画を見てます
は、はあああ
もし何の制約もなかったら何したいですか
不労所得で生きたい・・・
通常はそこで話は詰んでしまうね
そして高齢者と話をするとみんな大体こういう感じ
どこでもいいから働かせてほしい。
体動かさないとボケるから。
は、はああああ
もし何の制約もなかったら何がしたいですか
そんなに長い時間でなくていいから体動かす仕事して飯食えればいい
通常は話はそこで詰んでしまう。
どちらにも言えることは
自分のことしか考えていないってこと
他人にどういう貢献をしたいかって考えないと
いくら不労所得で生きられてもつまらない人生でしょうね
自分のボケ防止で働かれても
貢献どころか迷惑をかけてしまうのだよ
アドラーは言います
幸福の3条件
① 自分が好き
② 他人を信頼できる
③ 周りに貢献できる
これを満たせば幸福が得られるといいます。
確かにその通りで
いくら不労所得で生きられても本当にそれは幸せでしょうか?
生きるために必要な分だけあればいいんじゃないんですかね?
さっき書いた坊主の給料の話じゃないけど
坊主は念仏を唱え祈りをささげるという尊い使命があるんだから
60万ももらう必要なくね?っていうことです。
人間は一人では生きられない
周りを信頼して周りと協力し合って貢献しあって認め合って生きていくほうが
孤独な不労所得者よりはよっぽど充実した人生な気がします。
高齢者のボケ防止で働くってのは、もうお金目的じゃないからね。
シルバー人材センターにでも登録すれば
草刈りの仕事とか頼まれるんだし、それが貢献につながります。
過剰に働きすぎは体を蝕みます
でも過剰な働かなさすぎも精神を病みます
適度に働けて他人に貢献できる、そんな仕事を探しましょう。
私は言葉で他者に貢献したい、なので駄文でもいいからずっと綴っていきます。
ちなみに、先ほどの若者の
不労所得で生きたいって言った後
コーチはこう聞き返しました
私:へえ、いいね、不労所得、それで不労所得になった後はどんなことしてるの?
彼:やっぱり猫の動画見てるかも
私:どうして猫の動画見てるの?
彼:癒されるんですよね
私:癒されたいんだ、ほかの人にも癒し与えたい?
彼:まあ、そうっすねえ
私:じゃあ、癒すことがきみの価値観なんだ
彼:ああ、そうですね、じつは昔、介護に興味があって・・・
と、話が進んでいくわけでした。