この、小津夜景さんと言う人は帯のとおり
只者ではない
何者なんだ?
この人の綴る情景はシンプルな言葉なのだが
時に切なくで淡麗でなんだ。
北海道出身で、道東のほうで学生時代を過ごしていたからというのも、孤独と寂寞な思いを、言葉の中から拾いとってしまう。
こんな文章を書いてみたいと、ライバル心ではないが悔しい思いに駆られてしまう。
一つ一つの情景や所作が、この人の言葉のフィルターにかかると途端に美しくなる。
憎たらしいくらい文章が美しい。
難しい言葉なんか使っていないのに
こんなに美しく文章を書く人を知らない。
この人のように言葉に繊細になりたい。
例えばお風呂に入ってリラックスするっていう状況を描写する時に単に湯船に入ってリラックスするって言う言葉だと物足りなさを感じる
もっと臨場感のある言葉とか体の細部が緩まっていくようなリアルな言葉を作りたいのである
それが小津さんにはできる
今見ている情景を小津さんとわたしではフィルターの細やかさが何倍も違うから感じ取れるし描写ができる。
自分なんかは誤解の余地のないように
論理を立てて言葉の定義に
厳密にならざるを得ない仕事をしてるから
表現の豊かさと言うのは
縁遠いものだったんだ。
しかし、人と関わる仕事でもあるから人の感情に晒される時にその感情を汲み取る時にさまざまな言葉がないと、ウザイ、エモいとかしか表現できなくなるのです。
カウンセラー、セラピストというものは人の感情に触れる時には沢山の言葉の引き出しを持っているとその人にとってしっくりくる言葉を探せたりするものだろう。
でも、仕事上の話ではなくて、心から小津さんのような優しくてしなやかで読む人の心に残る言葉を紡ぎたい。