頭の遅れていそうな子連れの女が道を大きく幅広く占拠しながら歩いている
両手に子どもの手を引いて
自転車が通りかかる
その女は子供に言う
「自転車が悪いんだからあんたが道を譲る必要ないよ」
自転車はそっと横を通り過ぎる
きっと、その頭の弱そうな女は自分のこどもがダウン症の子供で社会的に不遇な目に遭っているし歩行者優先なんだからなおのこと道なんて譲る必要ないと思っているのだろう
でもな、その子は少し道をどけたんだ、だって危ないから
その子の判断が正解で、知恵のなさそうな親のその女は間違っている
ここは私たちが優先で歩く権利があるんだからあんたたちが退けなさいよと言っても
多分事故って泣きを見るのはその子供だ
親のその女はこの子なんていなければいいのにと思っているに違いない
だからあんたは自転車をかわさなくていいと言っているのだ。
あとで、その権利を主張したところで子供が死んでしまっては元も子もないのだ
自分が不遇な境遇に置かれているものほど自分が有している「はず」の権利を声高に主張する
しかし、その権利を主張すればするほど自分が犠牲者になるのである。
犠牲者になりたくなければ権利など主張せず逃げることを考えた方がいいのだ。
戦争反対!と言っているくらいならさっさとその場から立ち去った方がいい
反対と言っていたってミサイルがおちてくれば死ぬのは自分達なんだ
国を守るために死ねるか?死ねないよ、弱いものは逃げるしかないんだ。
権利権利と言って泣きを見る結末になることすら判断できないこういう毒親こそ消滅すべきである