2年前に牛乳パックで作ったコッシー
毎日これに座ってご飯を食べていました
かなりボロボロになりました。
この椅子のことも忘れてしまうんだろうなあ
子供との記憶っていうのは子供は覚えていないけれど
でも、おくさんとはこの記憶を共有できる。
あのときこうだったよね、楽しかったねと
一緒に記憶を共有していくという作業が夫婦としての共同作業であり、自分にとっておくさんが掛け替えのない存在となっていくのは、夫婦二人の関係性からではなく、家族三人の関係性の記憶を媒介にして初めて立ち上がってくるものだとおもいます。
初めておくさんの存在をかけがえのないものとして認識できた気がしました。