なんか新しいことしないんすか?ときかれて
うん。
シナイ
これまで、結構やってきたんです。新しいことを。でもね
田舎だから、新しいことに拒否反応を示すっていうのは、1週間でわかっちゃったから
とりあえずは、今まで通りのことしかしない。
でも自分がめんどくさいと思うことは改造していく。奴隷はもっと嫌だから。
そんなくらいでしか、自分の環境を変えられないなんて、とっても貧しい職場だなって思いますね。
やりたいことをやらないっていう制約を自分に課すことで、本当は何がしたいかっていうのが見えてきたりするんですよね。
アウシュビッツまではいかないけれど、奴隷のような苦役をして、精神的にも肉体的にも制約を受けた状態で生きていくと、本当は何がしたいかが見えてきたりします。
だから、必要最低限のことしかしない。やらない。
これまでは、どこかで、人の評価っていうのを求めていました。
あいつはやってくれる、あの人が来たから大丈夫、あのひとに任せれば問題ない、あのひとは改革者だ、あのひとは優れた人だ、あのひとは将来偉くなる人だ。そんなこと、もう自分の人生とは切り離したい。仕事ができない人になりたいわけじゃなく、仕事なんて人生の大目的じゃないんだということにシフトします。
なんかさ、キッザニアを作りたいんだよね、万人に共通する、子供だけじゃない大人も楽しめて、今からでもやりたいことを見つけられるテーマパーク。
いま書いたこと、いいね、
やりたいことを見つけられる子どもも大人も楽しめるテーマパーク
どうしたらそんな夢のような場所を実現できるのかなあ。
でも、コーチングのような思考実験でしか疑似体験できない場よりも、もっといいんだと思うんですよね。
臨場感を感じるためにエンプティチェアなどの疑似体験づくりや質問がコーチングの本質だとするなら、本当に疑似体験するような、五感に(少なくとも視覚聴覚触覚ぐらいには)訴えるような、そんな装置があれば、あらゆる体験を経験できるとすれば、コーチングなんかいらないとさえいえるのではなかろうか?
そんな装置があったらじゃあ自分はどんな体験がしたいかなあ。って考えるのがコーチングね。ここなんです。じつは、コーチングの本質って。
馬鹿の一つ覚えみたいに、何の制約もなかったらどうしたい?っていう質問だけじゃ、何の制約もない未来って見えてこないのよ。だから、回りくどく何の制約もない装置を作ったり、何の制約もないいろんな場面を設定したりして、本人が理解しやすいように、入っていきやすいように何の制約もない場面を作るのよ。
そんな装置があったらどんなことを体験したいか、タイムワープ?teleport?
それで、どんな所へ行きたいの?何をしたいの?
でも行きたいところって、地球上のどこかになるでしょう、そんなにないよね。
どんなことをやりたいか、どんな感情を満たすことができれば人生は幸福か。
見る人、読む人、聞く人を笑わせるものを作りたい。
そうだね、そうそう、DANROっていうサイトでシチュエーションコメディー作ってる
アガリスクエンターテイメントっていう劇団が面白いっていうから見てみたいしそういうの作りたいよね。もう笑って笑ってくだらなすぎてとりあえず明日は思い出し笑いで生きれるわっていうくらいの笑いを作りたい。
その脚本とかってどっかに売ってるのかな?ちょっと探してみよう。
これが、明日を生きるためのセルフコーチングだね。
笑って生きたいよね。仕事なんかほっぽいて笑わせられることしようっと。

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