なぜつまらないと感じたか
友達はたくさんいるのにその友達の投稿が満遍なく見れない。
偏った人の投稿しか読めないこと。
多分、自分がFacebook以外でアクセスしている情報からそれに似通った投稿をしている人を優先的に私のタイムラインに上げてきてるんじゃないかな。
Facebookってさ、そういう同じ趣味の人の集まりの時はグループ作って入ってくださいっていうことになってませんでしたっけ?
Facebookっていろんな趣味のいろんな人が友達になれるアプリじゃなかったけ?
だから、似通った人の似通った投稿しか見れないのには飽き飽きだということ。
あとは、むやみにキラキラさせようとして見苦しい投稿がいまだに多い。
普通の人の普通の投稿を読んで、友達になりたいなら承認してもらうためにボタンを気軽に押す。
そんな感じでいいじゃない、あったことのない人じゃないと承認しませんとか、どんだけ偉そうですかと。
あとは、なんか投稿あまりしないこっちが寂しい人間だと思われる。これはこっちの思い込みだけど、そんな思い込みをさせられるくらいならやめたほうがいい。
だから、やめてみて。
やめてみると、いろいろなことが分かる。
無駄な時間が減る。どうでもいい投稿を結構読んでたんじゃないかと。
自分もその馬鹿の一人だったんじゃないかって、今更ながら思いました。
やりたいことあればいちいち人に言わないでやればいい。金を集めたければクラウドソーシングすれば良い。
完全にそのセミナー講師の罠にハマっとるがなとおもってるんです。こんなのね、一昔前ならカルトですよ。
だってこんないいことを教える人のことはもっとみんなに広く知らせてあげないと世の中をもっとよくできないじゃない、とかいう。
その、世の中をもっとよくしたいからこれこれを伝えるとか柔らかくいってるけど、それがカルトなんだと。自分らだけで自家薬籠のごとく嗜んでいればいいのです。
他人におのれの価値観を押し付けるなということです。
集客は愛だという人がいました。私に言わせればそれがオウムを生んだんです。
だからもう使わないんです。そんな奴らの投稿にはつきあいきれないから。
そうしたら、こうしてブログで発信しつづている方が楽しくなってきて、今日は何を投稿しようかと、考えると毎日が楽しくなってきます。
全く人に見られていないブログですから好きなこともガンガンかけるし、少しずつではありますがアドセンス収入ももらえればお小遣いにもなるし。
書いているのが楽しい、それだけでいいんです。誰に認められたい、承認欲求丸出しのリア充気取りにはなりません。自分の描きたいように、自分の描きたいことをただ徒然に書く。
それがやりたいことなんです。