最後に選択肢を出します。
公園の向こうで大学生が遊んでいる
コロナなんかもう関係ないという感じで。
それでいいとは思うんだけどもね。
コロナとはなんだったのか、アフターコロナだウィズコロナだとか言ってますけど、そもそもまだ第一波でもないという見方だってある。
コロナウイルスが何かをもたらしたというよりも、生きていくにあたって何が大切かってのを学んだ時間だったんだろうね。
田舎じゃ何も変わっていないけどもね、都会では色々変えないといけないことが出てきてんだろうね。
都会と田舎っていうわけ方ももう通用しなくなってくるのかな、都会の人はテレワークで自由に住むところを決められるようになる、っていうけど、田舎は住むところなんて決められない。農業で生きる人、漁業で生きる人はそこでしか生きられない。
でも、そこに疑問符を投げかけてみると、本当にテレワークで漁業や農業はできないか?
なんかできそうですよね、ドローンとかITを駆使すれば、遠隔で魚釣れる船とか作れそうじゃないですかね。
天候を予測して水の散布量を調整したり、超小型のロボットが害虫を退治したり。
不可能なことはなくなる、人の手を使わなくてもできることが増えてくる。
シンギュラリティももうすぐそこにきている。
ロボットにとって変わられないかけがえのない自分ってあるのだろうか?
それはやっぱり他の人から自分の存在を認められるってことなんだろうね。
その人にとって自分はかけがえのない存在であると同時に、自分にとってその人はかけがえのない存在である。
その認識はシンギュラリティになっても人間だけが持つ存在意義なんじゃないかなと思う。
だから、だからこそアドラーのいう幸福の3条件を満たすような生き方を模索していかないといけないんだと思う。
でも、こう言っても今の人たちにこの選択肢を与えたらどうなるのだろうか?
1 脳に電極埋め込まれて幸福の磁力線を流される何も動けなくなる代わりに常に幸福感があなたを満たしている。
2 今この生きている人生を全うする。たまに幸福感は訪れる、が、生老病死の苦しみはある。
人はどっちを選択するのだろうか?