藤原新也の名著とされる
メメントモリを読んだ
死を見つめて生を見つめ直すことがコンセプトだろうか
写真と文章で当時の若者を唸らせたんだろうな
今となってはつまらない作品だった
写真はフォーカスが合わず、薄ぼんやりした写真と、文章もまあなんともまあ、という感じで、これでも当時は見る人を惹きつけたんだろうか
でもこれってじぶんでも撮れる写真でしょ
写真ってかなりそういうところがあって
同じ場所に同じ機材で同じ方向から撮れば
同じものができる、極論を言えば。
藤原新也は瞬間を、刹那を切り取れない。
しかしそれが評価される。
だから売れるっていうのは
極めて偶然の要素でしかない。宝くじみたいなもんだ。
ジークフリードハンセンのグラフィック的な写真は、その人しか取れない視点があって何をとるかという個性が出ている。自分にしか見えない世界を表現してるから写真としては好きだ
ただこの本は藤原新也というネームバリューで買いてる本でしかない
名もない人がこれを出してもきっと売れないだろう
写真集なんてみんなそんなもんか
有名な人が撮った写真です、わーすごいねえ
名もない人がインスタにあげた写真は評価されない
そんなもんですよ、人の評価なんて
岡本太郎の眼、美しく怒れも読んだ
岡本太郎の文章は好きだ
熱量が違う、こういう文章を書きたい
でも、そもそもの熱量が自分の中に溜まっていない、時代への怒りや憤りなんて自分の中に溜まるだろうか
それを爆発させて凄い芸術を作ったんだ
余人には変え難い唯一無二の芸術家だ
パラパラとめくりちょっと引用するだけでも凄まじい
代用の生きがいにうつつをぬかして、自分をごまかしてしまうのは空しい。なま身をぶち込み、賭けるのが、人生レースの本当のルールなのだ。
岡本太郎 眼 美しく怒れ より
この憤りがすごい
パワーがある
あのような成功者が、憤るという感情をずっと持ち続ける、怒りのエネルギーこそが芸術なんだとつくつぐ思う。
こういう人に憧れる、もっと岡本太郎の真髄を知りたい、太陽の塔ではわからない岡本太郎の宇宙の根源を突き止めたい
とりあえず本は全部読もう、真似しよう、怒りのエネルギーを沸々と身体に宿しながら、自分を瞬間に賭けていこう。
強い文章というとものはこういうことなのだ。
藤原新也よりも岡本太郎になりたい。
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